人の基準

これまで書いてきた文章で匂わせてきたとおり、わしはいわゆる超常現象否定派である。
「いわゆる」というのはわかりやすく伝えるため。実際には「懐疑派」という立場である。
懐疑派とは、不可思議な現象に対して現在の科学技術や知識などで、客観的かつ合理的な説明と立証ができるかを考える(疑ってみる)立場だと思っていただきたい。
否定派と何が違うかといえば、否定派のなかには「超常現象は非科学的だから間違っている」という考えをする人がかなりの人数含まれている。
そういう人は「科学的/非科学的」という言葉を使っているものの、客観的な説明はせず、むやみやたらと「不思議ではない」と唱えているのである。そういう態度は残念ながら科学的とはいえない。
これは肯定派にもいえることで、宇宙人やオカルトを信じているだけの人と、宇宙人を信じながらも宇宙人の目撃談などを検証し、否定的な結果が出ても納得できる人がいる。この場合、後者の人は科学的といえる。宇宙人の存在を信じているかどうかは重要ではない、検証しようとする態度こそが重要なのだ。
 
だがしかし、世の(少なくとも日本の)大半の人はそうではない。信じる・信じないの立場は「とにかく」で決めており、検証とか言うことはしない。「信じる」も「信じない」も、言ったらそれっきり。宗教のような扱い方だ。
そういった態度を取る人たちでよくわからないのは、信じると信じないの基準が非常に不明瞭な点である。まあ、適当に印象とかで決めてるんだから当然といえば当然だが。
うちの母親は、宇宙人は信じていないようだ。細木数子も信じていない。無神論者で、宗教にかかわるのは法事のときとクリスマスくらい。盆踊りは踊らない。踊っている姿をあまり想像できない。
しかし、血液型性格診断は信じているようだ。特に見たい番組がやっていない、春と秋の番組改変期、TV局は2時間編成の特別番組をやるのだが、一時期、非常にヘビーローテーションな感じで血液型性格診断をネタにやっていたことがあった。「柳の下には2匹目、3匹目のドジョウがいる。」の業界格言で、売れるジャンルが開拓されたら、みんなで飛びつくのがテレビ業界。一局がそれなりの結果を出した途端に各局が類似番組を次々出していたのだ。
のちのちBPOからクレームがついて、そのブームは沈静化したが、母が「とりあえず」テレビで見ていたのはそれら「血液型性格診断」番組だった。
なぜ母が血液型性格診断を何を信じているのかはわからない。おそらく聞いても「当たっているような気がするから」とかしか言わないだろう。
ネットで検索すれば、血液型性格診断を全力で支持している人のサイトABOFANなど)があるが、それらを読んでもあまり彼らの支持するのが正当であるとは思えない。っていうかABOFANの管理人は、否定派の文章までも曲解したり、都合よく無視したりして、血液型を肯定しまくっている。意地なのだろうか?
 
そして父は血液型正確診断には否定的だ。テレビで見かけると「ばかばかしい」などといいながら、ニヤニヤしてみている。おそらく心の中で反論して楽しんでいるのだろう。わしと同じように。
父は宇宙人にもUMAにも否定的だ。わしからみればかなり敬虔なカトリック信者だが、進化論を否定したりしないし、神の実在について何か話をされたこともない。「超常現象バトル」では韮澤編集長の登場を今か今かと待ち望んでみている(面白いから)。逆にカトリック信者としてそれなりにしっかりしているからこそ、細木数子も江原啓之も、おおよそ占いや心霊の類は信じていない。
だけどダウジングは信じている。海外では長く井戸探しとして使われてきたり、現代でも水道管探しで用いていたとか、キリスト教宣教師が用いていたといった話(真偽不明)など実例があることが、どうも父の中での根拠のようだ。
しかし、多くの人が信じていることや昔からやってきたことが正しいことと判断する基準にはならない。現代と同様、正誤入り混じって行われてきたのだろう。
雨乞いで煙を炊くことは、雨を降らせるにあたって科学的に意味があると考えることもできるが(煙の粒子が水分とくっついて雲になるため)、祈祷師が唱えている雨乞いの呪文は科学的に意味があるとは考えられない。すべてが間違っていたり正しかったりするのではないのだ。ダウジングは針が動くよりも先に、人間の手の筋肉が微妙に伸縮していることが既に証明されている。無意識のうちに手で動かしていたのだ。こっくりさんもそう。アメリカで同様の遊びを検証した科学者(ファラデー)がいる。
 
兄弟についてはほぼ全員が同じ見解だろう。全面的に否定していると思われる。何かその手のものを信じていると思わせる場面に遭遇したことがない。
 
家族から離れてみてもそういう現実はあまり変わらない。
高校からの友人Hは、以前酒の席で「血液占いだけは信じている」と豪語した。その手のことにわしが強力に懐疑的(かつ否定的見地)であることを知ってるせいか、他の友人達はあまりそういう話をわしの前ではしないのに、勇気のあることである。なんでも、「TVの朝の情報番組で見た、『意外な人から告白されます』という占いが当たった」とか、ほぼ毎日放送され、年に250回近くされている同じ占いの中で、彼に対して的中したのはその事例を含めて何例だろう。それ以外はすべて外れているのに、大した信じようである。
 
また他の例として、エッセイスト兼漫画家のさくらももこの書いた本で、「ももこのトンデモ大冒険」という本がある。
内容は、さくらももこ氏が実際に取材した胡散臭い宇宙人系、意味不明テクノロジー系業界などの体験記で、恥ずかしながら全部は読んでいないのだが、そういった胡散臭いものに対して、非常に絶妙なスタンスから取材し、文章を書いているのだ。信じる、信じないではなく、「面白そう」という態度をとっている。どちらかといえば信じていないようだが。
そんなさくらももこ氏、エスパーの清田君は信じていた。「ちびまるこちゃん」の5巻には、清田君が持つ(と、主張している)超能力のすばらしさについて説き、「願望をかなえやすい人は、ある種の超能力者なのだ」という(超能力者の定義を拡大させて、批判を軽減させようとしている?)発言に感動したり、「マリックさんはショーだけど、清田君は本物」と力説したり、同じ人なのに、立場が一貫していないようにすら思える。もっとも、「ちびまるこちゃん」の5巻がでたのは10年以上前なので、今はどういう考えなのかはしるよしもない。どうでもいいし。
 
誤解しないでほしいのは、信じようが信じまいが、それはわし個人の中では人の好き嫌いの判定基準には持ち出さない。そういうものを信じているかどうかなど、人柄とは関係ないのだ。やたらと自分の信仰を押し付けてくる人間は嫌いだが。
 
ただ、わからないのだ。なぜ信じる気になったのかが。それも、「批判的な意見や資料を読んだりしているわけではない」という前提は同じなのに、宇宙人を否定して珍妙な日本史(みのさんが司会のあの歴史番組、むちゃくちゃだな)を信じたりしてるのだ。
友人達はこんなわしを見て、つまらない、ロマンのないやつだと思っているだろうか、しかし、目の前に提示された胡散臭いものの真偽を知るべく本を読んだり、知識を蓄えることは、決してつまらないことではないのだ。その上で、わしはロマンを夢見てる。
 
おまけ――
文中に出したABOFAN、実は批判的な立場から読者メールを送ったことがある。しかし、管理人のSHOZO氏は、わしの送ったメールを無視して(わしへの返答として書いている文章なのに)従来の主張を繰り返したりするばかりだった。
とあるページに紹介された心理学者の本を曲解している点について指摘しても、指摘されたページの中の文章を繰り返して引用する回答ばかり、言うだけ無駄だなあという結論に達し、今はメールを送らないことにしている。
それにしてもこの人の文章曲解力はすごい。否定論者の文章を曲げに曲げた末、否定論者を肯定論者に(脳内で)仕立て上げてしまっている(作家の松岡圭祐が最近の被害者)。理系出身であることから、自分が科学的なスタンスを取れていると確信しているようだが、残念ながら日本語の文章が読めていない。
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