出典

世の中に数ある文章で、何かの説を唱えるものには引用を利用するものがほとんどである。
それは、既に存在するデータや説、事実を元に自分の説のを補強し説得力を増すために必要な手続きである。
普段妄語と銘打って、珍奇な文章を書いてるわし自身も、Web上の文章などをもとに書いたりする。もっとも、説を唱えてないけど。
 
引用というのは意外と個人によって差が出るものらしく、人によっては引用した文章を独自の「解釈」によって解読し、自説の補強に使う人もいる。
まあ、そういうのは悪い例で、一説には「スクエア三大悪女」の一人はひとつのサイトの悪質な情報操作で課題に悪女としての印象を植え付けられたとか何とか、そう訴えているサイトがあった。だが肝心のゲームをプレイしたことがないので、わしには同意も否定もできない。
 
で、そういう引用文を素直に受け取らずに独自の解釈を加えるような説とはどういうような説なのか?
それはずばり援護射撃になるような他者のまともな文書がないような説である。
ひとつの説をぶち上げるのに、そんじょそこらの本に書いてある文章では、実は説得力に欠ける。説を有力なものと見せかけるには、学術論文など、権威ある文章による援護が必要なのだ。だが、まともな科学的な検証や実験をした学術論文が、そう自分にとって都合のいい結果を出してくれるものでもない。だいたい、そんな結果だったら、自分がぶち上げるまでもなく一般に浸透しているはずだろうし。
そこでウルトラCの解読が出てくるのだ。ダヴィンチ・コードである。
 
だがしかし、あくまで解釈は解釈。他の人間がちゃんと引用もとの文章を読めば、その手の解釈などすぐに見抜かれてしまうのである。
その好例(?)として紹介するのがABOFANである。
ここはいわゆる「血液型性格診断(判断)」に肯定的な立場を取っているサイトで、心理学者の否定的な立場を論破(あくまで自己申告)しているサイトである。
さまざまな血液型と性格に関する情報をかき集めて紹介していると自負はしているものの、単にデータベースとして運営しているのではなく、かき集めたデータを自説(肯定)寄りに紹介しているのである。
かき集めた情報は、本のほかに学術論文もあり、管理人の理屈に寄れば肯定的結果である材料として紹介されていることがほとんどである。
 
で、ここの引用とその解釈がもう無茶である。
このサイト、むやみやたらと情報量が多いのでその引用文すべてをここで紹介することはしない。今回は引用された資料の中で、管理人のSHOZO氏が「学術論文で血液型と性格の関係が肯定されている」と解読した文章のいくつかをメインに扱う。
そのなかでも「坂元章さんの論文」というページの文を紹介する。これはABOFANで何度も引用され、学術的に血液型と性格の関係が肯定されているとするABOFANの重要な根幹の一つである。
 
ここから先、ABOFAN内で掲載されている引用文をこのページでも掲載する。
引用された文章の扱いにおいてABOFANとの違いは、太字にして強調する箇所である。ABOFANでは、引用文を独自に太字にしていることが良くある。
同じ文章でも、相手に伝えたい情報や信条が異なるため、太字にする箇所が違ってくる。黒字の太字がABOFAN,赤字の太字がわしである。
その信条の違いとは、ABOFANが「血液型と性格に関連があると、自分と読者に思わせるため」に引用するのに対し、わしは「引用元の文章を書いた人の意図を正しく理解してもらうため」であるために生まれてくるものである。
 
では、スタート(ABOFAN風に)!
■論文2

①大学生は明確な血液型ステレオタイプを有する。
②血液型と性格の自己報告との間の相関は、弱いが認められた。さらに、一般の人々の性格の自己報告は、大学生の血液型ステレオタイプに合致していることがわかった。
③年々、人々が「B型的」(物事にこだわらず、気がかわりやすい、等)になっていることが示された。
④③A型は相対的により「A型的」に、B型は相対的により「B型的」にという変化を示した。それは血液型ステレオタイプによる自己成就現象を示している。これは、「血液型性格学」のマスコミ活動に原因を求められるのかもしれない。
⑤従来の研究は(1)サンプル数が少なかった、(2)単独の特徴毎に分析していた、(3)A型とB型だけではなく、O型とAB型をも含めていた、などにより血液型と性格との関係を見いだせなかったのかもしれない。
⑥ただし、血液型と性格の自己報告との間の関連は小さいものであり、その差を統計的に検出するには数千人単位のデータを要するのであり、個々人単位に「▽型の人は△△だ」といった主張はできないと思われる。
⑦本研究では性格の自己報告を分析対象としたので、いくつかの未解決の問題が残った。それは、(1)血液型と性格との間に関係があるのか、それとも、認知の歪みなのか、(2)自己成就現象に関しても、性格が実際に変化したのか、認知が変わっただけなのか、というものである。

■「血液型性格研究入門」について

Q.38 血液型性格関連説があげている特徴を検証した研究にはどのようなものがあるか
[中略]
 5)山崎らの妥当性検証の研究
 山崎賢治・坂元章は,1991年の日本社会心理学会第32回大会で,JNNデータバンクのデータを利用した分析について,「血液型ステレオタイプによる自己成就現象一全国調査の時系列的分析一」と題して発表している。
 JNNデータバンクのサンプルは全国の13歳から59歳までの男女から無作為抽出されたものであり,代表性のある信頼できるものである。JNNデータバンクの調査の中には,最高27個(年により変動)の性格特徴に関する質問項目が含まれている。これらは,特に血液型性格関連説の本から抜き出されたものではないようであるが,山崎らは大学生に対する予備調査で,その中から,次に示すような最もA型的と思われている3項目と最もB型的と思われている3項目を選び出した。
【A型的特徴】
 2.目標を決めて努力する。
 6.物事にけじめをつける。
 15.何かをする時には準備をして慎重にやる。
【B型的特徴】
 4.あまり物事にこだわらない。
 9.人に言われたことをあまりよく気にかけない。
 17.どちらかといえば気がかわりやすい。
 そして,これら6つの項目の1978~1988年の11年間合計のデータに基づいて,A型者とB型者のみ(合計19,318人,A型者12,466人,B型者6,852人)を分析の対象としたところ,次のような結果となった。質問項目2以外の項目では,すべてχ2検定で有意な差がみられ,また差の方向も矛盾のないものだった。
項目 A型者 B型者 有意水準
2 28.0% 27.0% 
6 40.6% 37.1% 1%水準
15 32.3% 28.6% 1%水準
4 32.9% 37.8% 1%水準
9 23.3% 25.3% 1%水準
17 18.1% 21.3% 1%水準
 (注:A型者,B型者の数字は肯定率を示す)
  これは,1980年代以降に日本の心理学者が行なった妥当性検証の研究の中では最も肯定派寄りの結果だといえるだろう。ただし,有意差がみられるといっても,上記の肯定率をみればわかるとおり,数千人のデータを集めなければ,検出できないほど微弱なものであり,「個々人単位に『▽型の人は△△だ』といった主張はできないと思われる」と,山崎らは述べている。また,このデータは自己報告によるものなので,ここで得られた有意差が本当に血液型と性格の間の関連を示すものなのか,あるいは認知の歪みなのか,という問題は未解決の問題として残されたとされている。(→Q43)
 JNNデータバンクのデータを用いた分析は松井豊(1991, →Q40)も行なっているが,分析方法が異なるため若干違った結果が得られている。

とまあ、とりあえず二つの引用文で比較していただきたい。ABOFANでは黒い太字にした部分を取り上げて「要するに、「弱いが(能見さんの指摘するとおりの)相関が認められた」と明確に結論づけているわけです。」と強気っ子な発言だが、実のところ太字にされている部分はそういうことを全く書いていない。わしの引用した部分から坂元助教授の論文の意図を判断すると、というか読んだままだろうが、「個々人の性格を血液型で判断は出来ない」というのが正しい読解である。この結論は血液型と性格の関連性を否定してはいないが、一般に広く使われている血液型性格診断などは否定している。次にあげる文章は発揮いって長い。覚悟して欲しい。

Q.43 研究にあたって,既存の血液型性格関連説の影響をどのようにして避けるか
 既存の血液型」性格関連説の影響という問題は,おそらく日本特有の問題であるが,これは「血液型と性格の関係」を研究する場合に限らず,質問紙法による性格研究すべてに問題を投げかけているのではないだろうか。なぜならば,日本においては血液型性格関連説は広く浸透していると考えられるので,日本人を被験者として研究するとき,無視できないような数の人が,血液型,性格関連説の説くイメージに合わせて,自分の性格を認知しているおそれがあるからである(その影響の強さがどの程度のものなのかは必ずしも明確ではないが)。(→Q3)
 これをある程度裏づけるような研究も報告されている。山崎賢治・坂元章は,学会(1991, → p.165)において,「血液型ステレオタイプによる自己成就現象」を発表している。すなわち,11年間の全国調査データの性格項目の時系列的な分析から,相対的にみた場合,A型の人はよりA型的に,B型の人はよりB型的に変化していることが確認された。そして,「血液型性格学」のマスコミ活動に原因が求められるかもしれない,と述べている。つまり,マスコミなどを通じて,血液型性格判断に関する情報を繰り返し与えられているうちに,人々は,「自分は ○型だから△△という性格なのだ」と,いつのまにかそう思い込んでしまって,血液型のステレオタイプ(血液型’性格関連説 のあげている特徴)に自分を合わせていったことが考えられるのである。
  山崎らの研究では,時系列的な変化の分析だけでなく,通常 行われるような各血液型者間の有意差を調べる形式の分析でも,血液型性格関連説(実際には予備調査の被験者の各血液型者に 対するイメージ)の予想通りの方向に,A型者とB型者の間で 大きなものではないとはいえ,有意差が見いだされたことが報告されている(→Q38の5))。この有意差も「本当の血液型と 性格の関係」を表わしたものではなく,認知の歪みによっても たらされた可能性が指摘されている。
  ところで,性格は遣伝的な要素に環境的な要素が加わってできあがるものだと考えるとき,日本において血液型性格関連説 が広く浸透していることは,まぎれもなく,日本人にとっての 環境的要素の一つとなっている,ということができる
  また,自己報告型の質問紙調査の結果は,通常「その人の性格そのもの」を表わすと受け取られている(「その人の性格」 ではなく,あくまで「その人の性格の認知」を表わすというふうにもってまわった考え方は普通しない)。
 こうしたことから考えれば,山崎らの研究で得られたA型者 とB型者の間の有意差は,少なくとも日本においては「血液型 と性格は多少なりとも関係がある」という証拠として受けとってしまってもよいことになってしまうのではないだろうかつまり,おかしな話ではあるが,日本においては,血液型は「遺伝的要因」としてよりも,むしろ「環境的要因」として強く働 いている,というわけである
  しかし,これは血液型性格関連説が一般に広く広まってしまったという特殊事情を持つ日本だけに起こったことであり,真の血液型と性格の関係を調べるには,血液型性格関連説の影響 をできるだけ少なくするために,結果を血液型性格関連説の内容を知っている者と知らない者とに分けて分析するなどの配慮 が必要であろう。
  そのためには,まず血液型性格関連説の影響度を測定する尺度についての研究が必要だといえるかもしれない。例をあげれば,「あなたは,血液型性格判断(血液型`性格学・血液型人間学)を知っていますか」などと質問し,「よく知っている」, 「かなり知っている」,「少し知っている」,「ほとんど(まった く)知らない」の四つに分けて回答を求める。そして,「よく 知っている」と「かなり知っている」を合わせて「知っている者」とし,「少し知っている」と「ほとんど(まったく)知らない」を合わせて「知らない者」として処理することなどが考えられる。
  血液型性格判断(血液型性格学・血液型人間学)を「信じているか」と「信じていないか」で分ける方法も考えられるが, 単純に,信じていれば血液型,性格関連説の影響が大きい(血液 型性格判断を知っている), 信じていなければ影響が少ない (血液型性格判断を知らない), とみなせるかどうかはわからない。この場合,「わからない」という回答も併せて用意し, これを血液型性格関連説の影響が少ない(血液型性格判断を知らない)者とし,「信じている」も「信じていない」も影響が大きい(血液型性格判断を知っている)者とするのなら,ある程度妥当な分け方といえるかもしれない。

・・・まあ、長い文章を読んでいただきお疲れ様でございます。この文章でもよく読めば(わしが太字にした箇所)、「日本では血液型性格診断という予備知識が、人々の性格をきめる環境要因として機能している」というのが主張であることが分かるはずである。

血液型性格診断に関する知識から、「自分の性格は×型だから○○だ」と人々が思い、その思い込みにそって行動するようになっている、と書いてある。つまり血液型談義でよく出てくる自己成就のことである。
「血液型と性格には関連がある」と書いてはあるものの、それは血液の含む化学成分やらなにやらではなく、血液型性格診断を「正しい知識」として持っている人が多いからである、と皮肉って書いてあるともいえる。

こういった膨大な(読みにくい)文章を目の前に突きつけられたとき、人は短期で内容を理解するために太字に注目する。それが引用者が親切にも内容の骨子を伝えていると思うからだ。しかも、それが実は間違いであることに気づかない。ABOFANに同意する読者が多いこともそのことを暗に示していると思う(単に読んでないだけかもしれないけど)。

案外こういうことはわしらの身の回りにある事なのかも知れない。この手で誰かだませないかな・・・?

おまけ――

このサイトでの間違いを統計分析のミスなどで指摘する人が多くいるが、ABOFAN側は理屈をこねくり回して受け流している(全然通じてないけど)。その割りに単純な引用のミス(今回のわしみたいな)にはあまり免疫がないようだ。文章読めれば指摘できる間違いなので、もっと指摘する人がいてもいいような気もするが、思いのほか少ない。肯定派にしろ、否定派にしろ、案外文章を読まずにメールを送っているのだ。そういう意味で、ABOFANの提示するデータはあまり見られていない。気の毒なことである。

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