作法

結構愛読しているブログにkikulogというところがある。
菊地誠さんという大阪大学サイバーメディアセンターの教授が主に運営しているブログである。
この先生(ブログないでは「きくち」としているので、以下ではきくちんさとかきます)、NHKの番組「視点・論点」で「蔓延するニセ科学」というテーマで話をした人であり(YOUTUBEなどで見られるかもしれない)、スピリチュアルブームで民放が「オカルトわっしょい」な番組やってたばかりの頃にテレビでそれに対する反対意見をでかく表明した人である。
とは言っても番組は10分だし、バラエティー番組でもないので、どの程度注目されたのかは分からない。
そんなきくちさんのブログは主に「ニセ科学批判」についての記事が主である。時々、趣味でやっているというテルミンや日常レベルの雑談もしているが。
そしてきくちさんの各記事には多くのコメントが寄せられ、一種掲示板のスレッドのような様相を呈してくるのである。
 
そんななか、批判的なブログでの論調に対して乗り込んでくる肯定派の方がちらほら現れ、ほかの人々と激論を交わしているのを読むのは実に楽しい。
そういうやり取りを見ているとまざまざと見せ付けられるものがある。
科学的な議論とはどのようなものか、ということである。
いくつかのテーマにおいて肯定派の人々が現れては、懐疑派とやりあうのだが、肯定派の人々はいずれも別人であるのに関わらず、懐疑派から似たようなことで議論のうえでの注意を受けていることが多い。
「立証責任」の問題である。
 
「立証責任」とは科学的な議論の中で「新奇な説を唱える側」が負うものである。
すなわち、「それまでの定説や常識に反する説を述べるものが、その新奇な説を証明する責任を負う」ということである。
よく異端の説を唱える人は、自分の姿をガリレオやコペルニクス、ダーウィンなどになぞらえて表現する。それは、マイナーな説を唱えるものが正しいこともあるんだという実例として、である。
まあ、大概の説は異説ではない(定説の延長上)場合がほとんどで、彼らの業績は例外的なものだったからこそ、今も語り草となっているのだが。
周囲が反対する論調だったにもかかわらず、ガリレオたちは「立証責任」を果たしたからこそ、現在の定説となることが出来たのだ。別に批判的な意見に対して「それでも地球は回っている」といい続けただけだからではない。証明して見せたのだ。
それまでの定説を唱えてた人々が時間の経過によってみんな死んだから、それら新説は定説になれた」という皮肉もあるが、それでも「立証責任」をきちんと果たさなければ支持者は集まらず、定説となることはなかっただろう。
自分をガリレオのようにたとえる異説のひとは、この立証責任を果たして地道に支持者を増やしていかなければならないのだ。
だが、このことが分かっていない人は非常に多い。
最近kikulogに見られた肯定派に、「9.11陰謀論」を支持する人(恐らく複数だが、みな「名無し」いうH.N)が現れた。似たテーマの記事に並行的にいくつもコメントしたので非常に議論が荒れたのだが、かれらはどうやらリチャードコシミズ氏(以前書いたが、反ユダヤ的な陰謀論者。世界貿易センタービルは純粋水爆によって破壊されたと主張する人)の支持者で、WTCが陰謀であるほかに、実は常温核融合の技術は既に完成されている(でないと、純粋水爆は作れないので)と考えているらしい。
 
そんな彼らとのビル崩壊におけるやり取りのなかで「溶けた鉄」に関する論争があった。
肯定派の人が出してきた写真の一つに、フォークグラブによって持ち上げられる赤赤とした溶けた金属が映っているものがあった。
彼らはこれは「純粋水爆」の熱によって溶かされた「鉄」であり、写真に写ってはいないが溶けた鉄によって出来たプールがあったという。
すなわち主張は「この写真に写っているのは溶けた鉄である。」であり、その主張が支持されたとき、「これが鉄ならば、制御解体されたという説や、飛行機の燃料によってビルの火災が誘発され、WTCの崩壊が起きたとするような説は間違いであり、純粋水爆説が正しい。」と発展させるのだろう。
これに対して述べられた意見をあげると以下のようなものである。
・なぜだといえるのか?
・鉄よりも融点の低いアルミなどの他の金属ではないか?(鉄の融点は1600℃。アルミは700℃程度である)
・その写真は合成ではないのか?
・あれはカレーだ!カレー!
もともと、「同時多発テロは陰謀ではない」し、ましてや「純粋水爆なんて実在しない」という場で「純粋水爆によって鉄が溶けた」という意見は異説である。
立証責任を負うのは異説側であるので、肯定派の人たちが「写真に写っていたのは溶かされた鉄である」ということを証明する責任をおっている。
にもかかわらず彼らは、「なぜ鉄ではないといえるのか、アルミであるという理由は何だ?」という「質問を質問でかえす」発言を繰り返している。
このような不毛な言い合いにならないために、「立証責任」というものが議論のルールとして存在しているのである
議論の相手が吉良吉影(ジョジョの4部に登場。殺人鬼)だったら、遠慮なく爆殺されている。そのシーンを見たい人は44巻を読んでね。あ、あの問答は科学の議論じゃないや。
ともあれ、すくなくともkikulogでは、というか世間では、「写真に写っているのは溶かされた鉄である」という意見は異説なので、それを証明しなくてはいけない。
なぜなら、「アルミ説」「合成写真説」「カレー説」といったほかの意見の根拠を求め、それらを否定して見せたところで、「溶解鉄説」が証明されることにはならないからである。
鉄であることが確かに証明されれば、他の意見は同時に全て(現在挙げられていない意見も含めて)排除され、定説となるのだ。
 
ちなみに、合成写真説は結構妥当な説らしい。というのも、この写真の元ネタであるスティーブン・ジョーンズ氏(WTCがサーマイトを使った制御解体によって崩壊させられたという陰謀論を展開する)らが、他の写真に画像処理を施して、溶けた鉄のプールの証拠を捏造していたとの指摘がなされているのである。まあカレー説はその場の冗談である。
 
似たようなことは別のテーマに関する議論でおこっている。
「血液型と性格」に関する議論において、ABOFAN氏(同名の大型血液型性格診断肯定サイトを持つ)の発言や態度がそれに当たる。ABOFAN氏は、「血液型と性格には関連がある」という異説を述べているわけだが、その詳細な主張と、その根拠を示すという説明責任を果たさず、相手に否定する根拠を言わせようとするのだ。
ABOFAN氏がサイトで行ってきたことは基本それに終始していることもあるせいだろう(否定意見の心理学者の実験や著書を曲解したり、データが間違っていると否定したり)。それと同じ論法を他の議論の場で持ち込んでも通用しないということが分かっていない。もっとも、ABOFAN氏においては、主張が明確に示されていなかったりする(「私の主張は、能見(正比古&俊賢)の説がおおむね正しい」と言うものの、「おおむね正しい」の具体的な内容がいつまで経っても明かされなかった)ため、証明する以前の問題なのだが。
相手の意見を否定すれば、自分の説が正しいことにはならないのだ。
 
<<必要かわからないけど、例>>1+1=5だと考えている人が、1+1=3だと考えている人の意見を否定できたとしても、1+1=5という考えが正しいということが証明されるわけではない。ただ「1+1=3ではない」ということが証明されるだけである。
 
おまけ――
それにしてもリチャードコシミズ支持者の人々はスティーブン・ジョーンズの持ってきた写真を純粋水爆の証拠として使ってていいのだろうか
というのも、リチャード・コシミズ氏は自らの講演の中で、(自分とは異なる説を採っている)スティーブン・ジョーンズは陰謀論支持者たちをミスリードするために制御解体説を提唱している、ユダヤ権力の手先である可能性が高いと発言しているのだ。
なんでも、常温核融合に関する専門家であるにもかかわらず、その可能性に言及しないのはおかしいとか(専門家だからこそその可能性がないと考えたんじゃないの?)。
そんな「敵」の出した証拠で自説を補強してていいのだろうか?
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